袴ブーツで古民家ぐらし(仮)

着物を普段着に古民家、神社仏閣、お城、日本庭園、洋館などをフラフラしている社畜

【地震】東日本大震災の思い出

2023年3月11日は東日本大震災から12年ということで、当時関東にいた一市民の日記でも書きまする。

長いので暇つぶしにでもどうぞ。

そして12年かあ、今の大学生で覚えてるくらいかなあ。

歳がバレるゥー!

 

日記にしておいて難だけど、3月11日に誕生日や結婚記念日やらの人は「東日本大震災から○年です」みたいなニュースばかりでかわいそうだなと思う。

その人にとってはおめでたい日なのにね。

 

さて日記。

 

当時は学校で居合道部に所属しておりました。

11日は午前に稽古で、午後は部の代表者的な会議がありました。部長ではないけどね!

稽古を終えて先に帰る仲間を見送り、会議中の14時46分頃

 

揺れました…

 

最初はそのまま会議してましたが揺れが大きくなってきたので中止し、外へ避難。

横揺れが凄くて歩きにくかった思い出。

当時の東京で震度5強、5弱とかでしたっけ。 

 

それからは残っていた部活の仲間とダベったり学校の放送などを聞いていました。

しかし日が暮れてくる夕方になっても特に状況は変わらず、電車も止まってるということでどうする?

大体は近場に住んでる人の家に一泊お世話になることに。

 

私は「しゃあねえ、千葉県まで歩いて帰るか!(アホ)」

 

と考えて皆と別れました。

そしてお腹も減ってるしパワーつけて帰るか!と学校近くのラーメン屋で大盛りラーメンを…つけ麺だったかもしれない。

 

当日のではないが後日同じ店で食べた時のラーメン。

ここにはいつもラーメン屋が入るのだが基本的に半年で潰れるので、空と海と大地と呪われし土地でした。 

この店ももちろん潰れました、かなしみ

お客は誰もいなかったので、店長と「いやー凄い揺れでしたね」なんて話をして完食。

 

当時はまだ普段着がギリギリ洋服だったので、アウターのファスナーをしめて防寒対策。

3月とは言えまだ夜は寒い、体力を奪われてしまうからね(キリッ

 

そして渋谷は人でごった返してました。

タクシーやバス乗り場はもちろん、階段で座り込む人などなど。コンビニでは物がめっちゃ無くなってました。携帯のバッテリーが特にすっからかんでしたね。

道中の自転車屋さんで自転車買ってる人もみました。

 

私もなんとかトイレを済ませて千葉県方面へ。

歩いているとこんな大地震の後なのに刀を持ってる(居合で持ち運ぶ刀を入れる袋)おっさんがいる…と目に止まる。

…なんかこのシルエットに見覚えがあるような🤔

 

まさかの友人でした

 

午前中の稽古後に帰ったのにまさかの出会いでした。

こんなことある???

 

「いやーさがしましたよ」探してないけど

ともあれ仲間が増えたので喋りつつ表参道〜青山〜皇居周辺〜東京駅のほうまで歩きました。

友人は大手町でご家族と合流するとのことでお別れ。

 

お別れ後に東西線に沿って歩いていたら門前仲町駅で電車が復旧するとの情報を入手。

これで千葉県方面まで行くぜ!と乗ったはいいものの結局車内で1時間くらいは待ったな。

 

ちなみにここまで来るのにマップは電波が不安定だしバッテリーも消耗するので使ってませんでした。

頼っていたのは道路にある青色の看板と脳内グーグルマップのみ!

 

東西線、こいつ動くぞ!

 

門前仲町〜妙典までだけどな!!

 

それでも家に近づいたのには変わりない。

妙典駅に着いたのは0時前くらいだったかな。構内には座り混んだり、家族を待つ?人々など。

 

電波も多少落ち着いたので携帯くんの最期の力を振り絞り、家族に生存報告の連絡を取る。

兄弟が車で迎えに来てくれるという。

 

これ歩いて帰れたのでは?とも思いつつ、もはや携帯くんは息絶えて連絡が取れない。

歩いたら兄弟と入れ違いになってしまう。なので妙典で待つ。2、3時間は待ったかなあ

深夜だしそんな動かないしで結構寒かった記憶が。

 

兄弟が迎えに来てくれたよ!!

やはり同じように車で移動する人がいてめっちゃ混んでたとのこと。

帰りももちろん激混みで4時間くらい掛かったか?

 

そんなこんなで家に着いたのはもはや朝でした、棚の本などが散乱しておりました。

迎えにきてくれたのはありがたいし、助かったけど歩いて帰れた気はする。激混みのなか来てくれたのも申し訳なかったし。

 

ということで当日の日記はこんなもんです。

余震ばかりで常に揺れてるような感覚になったり、計画停電とやらで蝋燭使ったりしたのはまた別のお話。

 

情報が手に入らなかったり、連絡手段がなくなるのは大変なのでスマホの予備バッテリーは持ち歩いていた方がいいですね。

あとは飲み水、当時から持ち歩いてはいたがやはりこれがあるだけで違う。

 

そういえば震災時に携帯の電話やメールは通じなかったけど、SNSは割と通じて驚いた思い出。

でもデマとかもあったから鵜呑みにするのは気をつけたいですね。

 

ちなみに津波原発について色々と知るのは家についてからで、驚愕しました。

臨海部の住宅地で液状化があったり、工業地帯では火災とかもありましたっけ??

我が千葉県の旭市にも津波が来ておりました。

mori-soba1868.hatenablog.com

 

改めて防災セットやらハザードマップを確認して起きたいものですね。