かこつけて紹介するために書いた古民家園「みちのく民俗村」の日記。
今回はその続きという事で。古民家園大きいからね、仕方ないね。
解説は公式サイトから引用しております。
以下、村内巡りの続きを。マップも公式サイトを参照されたし。
旧小野寺家住宅(明治34(1901)年)
※旧小野寺家の間取りを見ると、寝部屋のように日常生活に欠かせない空間が非常に狭く、まだまだ江戸時代の封建的な考え方を踏襲していたことがうかがえます。
民俗村のなかでも建築された年がハッキリしてる建物。
説明通り日露戦争の前、日英同盟あたりの明治も後期に建てられてますがめっちゃ江戸時代感ありますね。
レンタル中?だったのか中は人がたくさんいて見学できず。
そして古民家以外にこんなものも。
南部藩と伊達藩の境界の沢
藩政時代の境界なんて初めて見たかも👀
とりあえず間に立つよね。今まで見学してたのは南部藩側でした。
旧佐々木家住宅(江戸時代中期)
※旧佐々木家は、葉たばこを栽培していた農家です。江戸時代、旧佐々木家があった周辺(現一関市東部一帯)は「東山たばこ」と呼ばれる上質な葉たばこの産地でした
農家、豪農の家はたくさん見てきたけど「葉たばこを栽培」ってのは初めて聞いたかも🤔
境界に続き初めてラッシュやね。
内部
※内部の柱と柱の間に、葉たばこを吊るす横木を渡していたり、差鴨居の上に壁をつくらず、風通しを良くするなど、葉たばこを乾燥させやすくする工夫が見られます
言われてみると確かに普通の古民家以上にスカスカな印象。
科学が未発達でも昔の人はきちんとそういう風に作ってるからスゴいですよね。
旧菅原家住宅 県南民家(江戸時代中期)
※旧菅原家は敷地内に金烏神社があり、その祭祀を司る神官も務めた上層農家です。
長屋門(江戸時代末期)
※長屋門は、武家の門が、後に上層農家に普及したものといわれています。
木製やなまこ壁の印象があるから、こういう長屋門って新鮮かも。
茅葺き屋根だし、というかこの村の茅葺き率がすごい。
私の着物が掛けてあってすみません(違)
金烏神社
※創建当初、納戸は寝部屋や物置として使用されていましたが、金烏神社が勧請されると、納戸には祭壇が設置され、金烏神が祀られました。
神棚や仏壇とはまた違って室内にあるというのが珍しいですね。
火鉢くんがひっそりと。
私が来たからにはもう安心ですよ🔥(謎)
旧菅原家住宅 豪雪農家(明治時代後期)
※旧菅原家は、奥羽山脈の山懐にあり、雪が大変多い湯田地方(現西和賀町)の農家です。
屋根に勾配をつけて雪を落ちやすくさせたり、軒に「船枻造り」という工法を用いて、雪の重みに対する耐久力をつけるなど、豪雪地帯ならではの工夫が見られます。
かなりご立派に見えますね、豪雪地帯の古民家はこういうとこある。
まあこの時は入れなかったんですけどね(えー
なので外観のみ。
※旧菅原家の馬屋は家の中にあります。旧南部領の特徴は、このような内馬屋と呼ぶ形式の民家が多いことです。
特に「南部曲り家」は有名です。しかし、旧菅原家は曲り家ではなく、直ご家と呼ばれる形状の民家です。
なんで曲がり家にしなかったのかちょっと気にかりますね🤔
池や井戸もありますよ!村の景色をパシャリ📷
今回で終わらせるつもりだったけど、またまた長くなりそうなので次回へ続く!
もうちょっとだけ続くんじゃ。
其の参書きました。
駐車場もありますし、北上駅からバスもあるようですし。