本当は3日連続日記で書きたかったのですが、なんか忙しかったので1日飛んでしまいました🙃
其の壱や
其の弐も合わせてどうぞ。
いずれ他の古民家園の日記書くときもヤバそうだなーと思いました。
でも1つに纏めるのもなあという事でまた分割になるでしょうね。
以下、今度こそ最終章!
説明は公式サイトから引用しております。
民俗資料館(昭和2年(1927)年)
※旧黒沢尻高等女学校の校舎を移築して、中に農作業道具、手仕事、生活用品、信仰関係などの民俗資料を展示しています。
村内では若造の部類に入るそろそろ100歳のイケメン校舎。
100年前でも昭和になりつつあるかぁ。
明治や大正も遠くなったものよ…(後方腕組みおじさん)
館内には色々な道具がありますが…
日露戦争の文字に惹かれたのか、何故かこれだけ撮っておりました。
軍用爪籠
極寒の大地で従軍する日本軍の兵士たちへの防寒用に。
旧大泉家住宅(江戸時代中期)
※旧大泉家の主・大泉氏は、城主・中嶋氏の家老職を代々歴任した家柄です。旧大泉家は城下の要となる大手門の前にありました。正式な玄関となる式台、控えの間となる下座敷、書院造りの上座敷など、武家住宅ならではの特徴が見られます。
マジかよお偉い家柄だったのか大泉洋…(違)
私は下級国民なので式台ではなく、こちらの玄関から。
この台所の感じからして既にご立派感あります。
中間の間
奥の裏座敷にある襖絵がなんだか恰好いいのですが👀
下座敷
式台から上がって控えの間になります、ここでも十分立派だと思います。
上座敷
脇息くんも置いてありました。床の間を背にして肘を置けば君も高貴なる人物に。
※元禄3年(1690)に創設された寺坂番所には、岩谷堂城(現奥州市江刺区)の役人が、2人ずつ交代で勤めていました。
畳敷2室と台所だけの小規模な建物ですが、柱に杉材が使われるなど、武家住宅的な要素を持っています。
確かに簡素な造りではありますけど、そこがまた質実剛健といいますか。
監視の仕事も責任重大で大変そうです😢
勤務の合間に少し談笑などもしたのでしょうか。
お勤めご苦労様でございました。
合間には時代を感じる旧お駒堂が、まあ復元ですけど!
いやいやこう…自然との調和した雰囲気っつーんすかァー!?
旧菅野家住宅(享保13(1728)年)
旧菅野家は、江戸時代、南部領と境を接する伊達領側の村(下口内村)にあった上層農家です。伊達領の住宅規定が書かれた「御郡方式目」(享保4年・1719)との照合から、大肝入(村長のなかでもさらに上役の村長)のものと考えられています。
伊達領の肝入(村長)以上には苗字・帯刀・門の設置が許されていたといわれます。
手前にある薬医門(享保5(1720)年)
村の中でも数少ない建築年がハッキリしている彼ら。
この菅野家は国指定文化財!
村長オブ村長の家とは言え、
江戸時代中期の農家と考えればかなりご立派な造りなのでは。
機織り機がたくさん。
冬以外の季節には実演もあるんだとか。
安定の囲炉裏、行灯くんももちろん見逃してませんよ。
今は子供たちの昔の遊び体験道具たちが。
ちょっといい雰囲気じゃありません?着物の男が歩いてきそう。
あ、俺だったか(羽織袴ブーツ)ちょーっと時代が後ですけど。
最後に引きの一枚。
生憎の雨のなかの観光でしたが、色んな古民家がたくさん見られて幸せでした😇
其の壱でも書いた旧今野家に戻ってきて終了ッ!
個人的にはこのみちのく民俗村だけでも北上市にきた甲斐がありましたね。
最後に村の入口あたりにある茶屋で…
北上コロッケを!
地産地消の里いも、黒毛和牛、白ゆりポーク、アスパラガスの4つを使った郷土料理・B級グルメのコロッケ。
じゃがいもはメジャーだしサツマイモのコロッケもありますけど、里いもは珍しいなあと。
里芋の粘りとまろやかさを中心に据えた味が美味しかったので、アリアリのアリでした😋
改めて…PayPayのキャッシュレスキャンペーンや、北上展勝地の桜の季節、コスプレの撮影、その他普通に北上市観光の際にみちのく民俗村いかがでせう。