日本一小さな市である埼玉県蕨市。
埼玉県No.1のさいたま市&No.2の川口市に挟まれた小さな自治体です。お隣の戸田市もいますけど
10年ほど前に鳩ヶ谷市を併合し(合併)さらなる領土拡大を目論むカワグチに対し、未だ頑強な抵抗を続けているワラビ(俺調べ)
荒川を背にした背水の陣から、今日も戦い続けるワラビ軍の決死の覚悟が伝わってくる…!
トダ軍も忘れないであげて!
そんなワラビの歴史スポットの思ひ出。
蕨駅から徒歩15分ほどのところにある…
和樂備神社
蕨城址公園
おわり(えー
言うてそんな語ることもないというか…(ひどい)
まあそれだけでは難なので
とりあえず和樂備神社の公式サイトから御由緒を
一、和樂備神社御由緒
当社は明治四十四年蕨町の村社八幡社に示す無格社十八社を合祀して社名社号を「和樂備神社」と改称した。
村社八幡社の創建は明らかではないが、社伝によれば、室町時代に蕨を所領とした足利将軍家の一族、渋川氏が蕨城を築き、その守り神とし
て八幡大神を奉斎したのがはじまりであるという。
ということで合体して強くなったという、男の子が好きそうな神社です。
写真に写ってる参集殿や社殿は平成時代に作られたそうで、確かに少し新しい感じだなあとは思ってましたが。
境内はそこそこの広さもあり色んな碑や末社、日露戦争で有名な乃木希典の像などがあります。
しっかり見て参拝するならボリュームもあるかと。
そして蕨城の歴史もちょいと
蕨城は、南北朝時代に渋川氏が館を構えたことに始まり、大永4年(1524)頃、北条氏綱(うじつな)に攻められ落城、永禄10年(1567)の上総国三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。
江戸時代の始めには、徳川将軍家の鷹狩用の休憩地の「御殿(ごてん)」として、蕨城の跡地が利用されました。
※下記サイトより抜粋
本丸の跡地とはあるが、本当にザ・普通の公園って感じです。
石碑とかなければ特に気づかんレベル。
↑廃城となってからかなりの年月だしそんなもんですね。
地味に成年式(成人式)発祥の地らしい。石碑もあります。
ちなみにワラビ軍の兵士たちはサイタマ一精強だと聞く。
たとえ最後の一兵となってもこの蕨城を枕に討ち死にする覚悟らしい。
この蕨城を見て、大国カワグチ・サイタマに押しつぶされまいと抵抗する小国ワラビの歴史が学べました(適当)
そんな和樂備神社&蕨城址公園からもう少し進むと中山道蕨宿もあり、イケメンな古民家もちらほら見られます。
が、それはまた別のおはなし。
6/1〜蕨市×PayPayキャンペーンも始まりましたのでね!
ここはもちろん還元対象店舗とは関係ありませんが、蕨市めぐりの際に合わせていかがでせう。