大河ドラマ『光る君へ』→実写ゴールデンカムイ→『坂の上の雲』
という時代は違えど日曜日のスーパー歴史タイムが
ゴカム最終回により終わってしまいました…
光る君へもこの日記の時点では最終回目前ですし
残された坂の上の雲をねっとり視聴しましょう。
来たる旅順総攻撃の203高地回を観て、金カムへの解像度を高めておけえ?
そんな訳で第13回は『子規、逝く(前編)』
遊戯王の「城之内、死す」みたいなネタバレタイトル。
そもそも子規の肺結核の描写めっちゃしてたし、歴史ものでネタバレもなにも…って感じですけど。
なんなら数回前に「広瀬、死す」やってましたね!
子規の最期が描かれるのは後編でしょうけども、早めにゆかりの地を題材にしておくぜ!
東京都台東区にあり病床の子規の終の住処であった
子規庵
基本情報
開庵時間
10:30~12:00(11時40分までに受付をお願いします。)
13:00~16:00(15時40分までに受付をお願いします。)
入庵料
500円
公開日
毎水土日曜日・祝日
※公式サイトより引用
JRの鶯谷駅から徒歩4分程、日暮里駅から徒歩9分程でアクセスは抜群。
大都会のためもちろん駐車場はありませんので電車でいきませう。
子規庵について
子規庵の建物は、旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋といわれています。
明治27年子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。
子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけましたが老朽化と大正12年の関東大震災の影響により昭和元年に解体、旧材による重修工事を行いました。
昭和2年、母八重(83歳)没。
同年7月子規の遺品や遺墨等を保管するため土蔵(子規文庫)建設に着工。
昭和3年、子規門弟を中心とする子規庵維持保存会が財団法人子規庵保存会として認可され、初代会長には正岡律が就任いたしました。
昭和16年妹律(71歳)没後、同20年4月14日の空襲により子規庵は焼失。
幸い土蔵は残り貴重な遺品が後世に残されました。
現在の子規庵は昭和25年高弟、寒川鼠骨等の努力で再建され、同27年東京都文化史蹟に指定されて現在に至っております。
※公式サイトより引用
劇中では高浜虚子や河東碧梧桐は出ているもののそこまで描かれませんが
弟子たちが中心となり子規庵や遺品を守ってくれたんですねえ…しかも初代会長は妹の律さん。
その後は関東大震災や老朽化の影響で解体し昭和元年に復元するも…
第二次世界大戦の戦火で焼失したため、昭和元年時を元に復元したようで十分に古民家ッ!
子規庵保存会などの木札が見える素朴な入口
今では生け花教室なんかもやっているようですよ。
当時はガラス戸もなく開放的な昔ながらの日本家屋だったと。
上野の山(上野恩賜公園)まで見えたとか。今では色んな建物が所狭しとあるためすぐそこまですら見えませんよ!
この小さな庭を眺めれば病気と闘いながら
俳句・短歌などの創作活動や後進の育成などに励んだ子規に思いを馳せることができます。
衰弱した正岡子規を演じるため、香川照之もめっちゃ減量に励んだとどこかで見た。
以上、内部の写真はありません!(えー
1枚も撮ってないし写真撮影禁止だったのかしら🤔
中には子規が病牀六尺を書いた畳の部屋があり、解説の展示があったり、使っていた特殊な文机があったりするのですが…
現地で確認してみてくれよな!(役立たず)
自分で臆病とか言ってるけど、痛みで座ったり寝返りすら打てない程の困難なのに
享年34歳(短い…!)の死の間際まで活動してたのは強靭なメンタルと言わざるを得ない。
明治という時代人の体質ですよねえ…
今回の再放送『坂の上の雲』で興味を持たれた方いかがでせう。
上野観光に来た方も割とすぐだしどうぞ!
子規庵を見学したら近所の羽二重団子も食べていきませう🍡
坂の上の雲にも登場しますし、夏目漱石や正岡子規にも愛された江戸時代からの名店。
その名のようにさらりとした食感の美味しいお団子だった記憶。
1番年上のあにさんが1番長生きするってのがなんとも言えないですねえ。
谷中に少し足を延ばせばガラスに白黒の写真が撮れる
ライトアンドプレイス湿板写真館や
レトロな喫茶店、カヤバ珈琲
入谷には銭湯を改装したカフェ
レボン快哉湯 rebon Kaisaiyuがあるからよ!(宣伝)