1945年8月15日、玉音放送で降伏が伝えられた日ですね。
タイトルには終戦記念日って書いたけど"記念日"ってなんやねんとも思う。
終戦の日でいい気はする。
この時期は太平洋戦争に関連する番組が多くなるが
沖縄戦の特集やらニュースでたまに「国内で唯一戦場に…」みたいな言い回しを聞くと
樺太や千島列島は…?って少し思う。樺太の戦い、占守島の戦い、真岡郵便電信局事件とか北方領土とかあったじゃん…と。
最近はそういう表現ではなくなってきたらしいが、他と比べるとメディアでの取り上げが少ないような。
北方領土2島どころか4島どころか…樺太&千島列島は帰ってこないんですかね?(すっとぼけ)
昔、祖父母に戦争の時の話を聞きましょう的な宿題?で聞いて
「灯火管制で明かりが漏れないよう気をつけた」と祖母が言っていたのは覚えている。
現在だと従軍した人なんて90代半ば~くらいの男性だろうし、それ以上の人で存命でも覚えてて喋れるかどうか…
また祖母が書き遺したメモから大伯父の1人が日中戦争で戦死、もう1人がシベリア抑留で終戦2年後に帰還とあった。
個人的にシベリア抑留の扱いは小さい気がしてならない。
そんなシベリア抑留について学べるのが、東京都新宿区にあるこちら平和祈念展示資料館。
タイトルにしておいてようやく登場!
個別の建物じゃなくてビルの33階だから、やはり目立ちにくい気がする。
この資料館にはシベリア抑留や海外からの引揚者について多く展示されているッ!
写真は撮っていないので↓を参考にしていただければと
収容所での食料を分け合うジオラマや引揚船のジオラマは印象深い、視覚的に大きいのもある。
あとは食べ物もそうだし、碌に物もないから食器や麻雀牌とか色々と手製で作ったというのも…
現在のロシアの西の方やカスピ海とかそんな遠くの方まで連れていかれたのかよ、と驚いた記憶。
うろ覚えで申し訳ないが特に印象に残ったものといえば…
袖なしの防寒着
-30℃~-40℃にもなるらしい極寒のシベリア。
収容所の防寒着だって大したものじゃないのに、あまりの飢えに耐えかねて
防寒着の袖とパンを交換したという話
食べ物だと思ったら
食べられる物が落ちてる!と大の大人たちが血眼になって争ったら
それは缶詰だかのゴミだったというもの。
飢えと極限状態が感じられる…
仲間がいつになく…
ある夜に仲間が故郷や家族について語り始めた。
強制労働で疲れてるし、明日もあるからまた今度にしてくれ
とやめさせたが、翌朝にその仲間は冷たくなっていた。
せめて最期に聞いてあげれば良かった…というもの
ここを見学して改めてシベリア抑留や北方領土など、ロシア関連のものはもっと扱いを大きくした方がいいのではと思いましたね。
こんなご時世でもありますし。
以前紹介したしょうけい館とも合わせて、日本人なら一度くらいは行ってみて欲しい施設。
俺だってたまには真面目な日記も書きますよ!!